元宇宙飛行士インストラクター、現ロボットベンチャーBD  田口優介②

 

田口優介 GITAI Japan 株式会社 Director, Business Development / 博士(理学)

 

兵庫県出身。4歳から10年間アメリカに在住。日立ソリューションズでシステム開発やオセアニア地域での国際営業、YSI/Nanotechで水質計・流速計の技術営業に従事。有人宇宙システム(JAMSS)では宇宙飛行士・地上管制官の訓練インストラクターを担当し、JAXA出向中は金井宣茂宇宙飛行士をはじめ、JAXA宇宙飛行士の訓練支援を担当。2018年より民間宇宙ベンチャーへと身を転じ、Astroscale、Space BDを経た後、2019年5月より現職。
神戸大学大学院で博士後期課程修了(天文学専攻)。旧財団法人日産科学振興財団のリーダー養成プログラム、Nissan LPIEの1期生。

 

*過去の記事

元宇宙飛行士インストラクター、現ロボットベンチャーBD  田口優介①

 

冨田 前回はPhD取得までのお話を伺いました。その後は研究の道には進まれたのですか?

田口 いや僕は、ちょっと研究には向いてないなと思ったので、就職しようと思いました。結婚してたというのもあるので、ちゃんと稼がなアカンなと。天文って基礎科学なので、ちょっと語弊があるかもしれませんが、そこで得たスキルが社会に直接役に立つものじゃないんです。もちろん役立つものもあるんですけど、天文学で食っていこうと思ったら、やっぱり教員になるとか、天文台や科学館の職員になるとか、すごく狭い道なんですね。正直、そんなに研究が得意であるわけじゃなかったし、優秀でも何でもなかったので、もう普通に就職しようということで、ドクター卒で就職しました。最初は日立ソフト、当時、日立ソフトウエアエンジニアリング、今は日立ソリューションズと名前が変わりましたけど、そこにSEとして就職しました。SEとして入社したんですけど、やっぱり英語が得意なので、それを活かす仕事を自分自身もやりたいと希望していたし、採用の面談でも「国際営業部っていうのがあって、そういうのどう?」って聞かれたから、「すごい面白そうです!」って答えててました。入社したときはそこ(国際営業部)は新人を採ってないって言われてましたが(笑)

冨田 そうだったんですね。

田口 ただ、一方で衛星画像本部っていう宇宙に絡む部署があったので、そこを希望したら運よく配属されました。そこの仕事で、アメリカの会社とのやり取りが非常に多かったので、それもあって(自分の英語力と)マッチしたということで、その部署に配属になりました。その事業ではDigitalGlobe(*注1)という、GoogleEarthに最初に地球の画像を提供した会社がパートナーだったんですね。当時のお客様が、DigitalGlobeが地球を撮影するために使ってる人工衛星のデータを欲しいと。そのために使う地上設備のアンテナから先の話ですね。人工衛星が撮影したデータを処理してお客様の目的に沿った形にして、その後いろいろ解析するためのシステムを開発する部門に配属されて、それでどういう機能が必要か、そもそもできるか、それをDigitalGlobe社と調整するのが僕の仕事でした。だから、英語が使えて出張もそれなりに行かせてもらいました。

冨田 なるほど、データ解析をやられていたんですね。ここは今、ビジネスとして市場としてとても大きくなっていますね。それでその後、いくつかの経験を経て、宇宙飛行士インストラクターになられるわけですが、ここからどんなストーリーになっていくんですか。

田口 はい、ただ、僕ね、その時の直属の上司とめちゃくちゃ仲悪かったんです(笑)でも、これはこれで、すごく良いに勉強になりました。僕は自分のやり方とか生活スタイルとかにすごいこだわりがあって、その上司とそこで一番ぶつかったんですね。僕とほぼ同い年で、しかもその人もドクター出身なんですよね。それなのにすごい考え方が古くて、残業をちゃんとしろみたいな。その人より僕が早く帰ると、ちょっと不機嫌になるみたいな。

冨田 組織にある多くの問題は、価値観の違いを認めない、活かせないことによることが多いですよね。

田口 まさしく。例えば入社2年目に、僕、息子が生まれたんですけど、その前後に結構休んだんですよね。それは当たり前やと思うんですけど、それに対しても「おまえ、休み過ぎやで」と文句を言われ、僕の中で「えー」ってなりました。いや、子ども生まれたんすけど、なんちゅう考え方、古い人やねんと思ってしまって、それですごいぶつかってしまったんです。ただ当時の僕も僕で、ぶつかることしか知らなかったので、やり方がすごい下手くそだったなって、今振り返ると思います。もうちょっと上手いやり方があったなと。例えば当時の上司のやり方を僕は認めるところからコミュニケーションをスタートしてもよかったなと。相手の考え方ややり方を否定ばっかりしてるんじゃなくて、認めるは認めて、その上でどう話を進めるかっていう技術を持ってなかったというのがあったので、そこは反省しています。
結局、3年経った頃に転職を考え出しました。社内でも社内転職制度があったんで、面白そうな募集があったから応募したんですよ。そうすると人事に呼び出されて、「何、異動したいの?」って。やっぱり仲悪かったってことは人事も知っていたらしく、僕の状況はばればれでした。「そうです」と言って話したら、一応人材として使えると思ってくれていたようなんで、「じゃあ、行きたいところがあったら教えてくれ」と言われました。「そこ、行けるように調整してあげるから、辞めてくれるな」と。当初、入社するときに言われた国際営業部、そこ行かせてくださいと言って、めでたく異動させてもらいました。

冨田 そうなんですね。採用された人事の方の配慮、気概を感じます。

田口 はい、僕もその方の期待に応えたかったのですが、最終的にそれが叶わず転職したので、最後に挨拶した時は申し訳なかったです。で、国際営業部ですが、そこは当初希望していた部署だったので、とにかく嬉しかったですね。当時の日立ソフトには電子ホワイトボードが製品としてあったのですが、それの国際営業、海外に売るための営業を担当しました。今はもう、残念ながらなくなっちゃいましたけど。ただ実際のお客さまと会って営業するっていうのは現地の支社の方々が担当で、僕らはあくまでそれをサポートするロジだったんですよね。輸出業務とか。営業の仕事の一部ではあるんですけど、僕はやっぱり人と会ってどうこうすることがしたかったので、結局そこも3年で辞めちゃって、初めての転職を経験しました。

冨田 なるほど、そうだったんですね。

田口 そこでパソコンのデルを経てワイエスアイ・ナノテックっていうすごいちっちゃい会社に転職しました。デルではパソコンの営業だったんですけど、僕に対する期待で認識がずれていることがわかり、結果としてすぐまた転職することになりました。ワイエスアイ・ナノテックでは本当に営業として新規開拓の担当。営業先は国内だけで、東北エリアと中部エリアを担当していました。なぜ僕がそこに行ったかっていうたら、個人的に相談した方がいたんですね。外資系とか、外国人向けに人材紹介してる方がいて、ちょうどいい案件があるよと。紹介していただいた会社は本社がアメリカにあって、その日本支社だったんですけど、新しくオーストラリア人の人が支社長になって、できれば英語と日本語が両方しゃべれて、営業ができる人を探してると。ゆくゆくは、次期支社長にもなってくれる人を探してるっていうことで、紹介していただいて入社したんですね。
少し話が戻りますが、日立ソフトって社員の教育に対して力を入れていた会社で、教育制度がすごい充実してたんですよね。社外で学べる機会も会社として提供していました。そこで多分入社3年目ぐらいのときかな、ちょうどグロービスでもいろいろ受けていいよっていうのがあったんで、僕はすぐ手を挙げて受けに行ったんですよ。MBAとかにも興味があったんで。本当にグロービスができて直後ぐらいの頃だったので、結構、最初の頃だったんです。2008年かな。

冨田 ちょうどグロービスさんが学校法人立になったタイミングですよね。

田口 はい、ほんでそれがめちゃくちゃ面白かったんですよね。こりゃ楽しいなと。だからそこから社内教育制度を利用して、結構、受けまくりました(笑)今もたまにセミナーを受けたり、単発で講演を聞きに行ったりとかしています。当時すごいMBAに興味があって、やっぱりいずれ自分でも起業してみたいなっていう思いがあったんですよね。ただ、具体的に何をするかというアイデアがなかったんですけど、いずれ経営をしたいと思っていました。それが転職を考えるときに支社長ができる可能性があるという話をいただいた。これで現場で経営のことも学べるなと思って、自分のキャリアのステップとしてちょうどいいなと思って、飛び付いたんですよね。
実際、その仕事自体はすごい楽しくて。僕も全然、辞める気もなかったんです。昔からずっと宇宙飛行士になりたい、なりたいっていうのは言ってましたが、正直、その気持ちはグロービスに行っている頃にちょっと減衰してたんですよ。経営とかビジネス、楽しいなと。当時は宇宙飛行士の募集がされていなかったこともあります。だからまず起業して、そっから宇宙飛行士になるのもありだろうなと思っいました。そんな頃に、ワイエスアイ・ナノテックに行って2年半ぐらいのときだったかな、学生の時の友人がJAMSS(*注2)に新卒で入社してて、当時は既に、宇宙飛行士訓練のインストラクターのトップになってたんですよね。彼女と久々に連絡を取ったら、「今、新しくやってくれる人を探してるんだけど、当時の情熱をもしまだ持ってたら、どう?」って言われてですね。実は彼女とは社会人同期、僕もJAMSSとかJAXAも受けてたんですけど、僕は全部落ちちゃいました(笑)

 

冨田 いい話ですね。全ての出会いは必然。

田口 本当に!僕は基本的に運が無いですが、家族を含め、人との出会いにだけは信じられないくらい恵まれています。いつも周りの方々に助けられてばかりです。特に嫁さん。一生頭が上がらないですね(笑)僕、当時38歳だったんですけど、もし宇宙業界に戻れるとしたら最後のチャンスかなと。40過ぎたらさすがに厳しいんじゃないかなと思ったんで、給料も100万ぐらい減っちゃうけど行きたいと思って、嫁さんに頭下げて、「行かしてください」って言ったら、「お小遣い下げるけど、それでいいなら」って。「すみません。はい、お願いします」っていうことで。

冨田 ええ奥さんや(笑)本当良い話です。家族あっての仕事、まさしくCareer in whole life です。

田口 はい、リアルにお小遣いが半額以下になり、それに慣れるのは大変でしたけど(笑)で、念願の宇宙業界に戻ったわけですね、そのときに。本当に新卒のときやりたかったって思ってた宇宙飛行士の訓練のインストラクターに、晴れてなることができました。

冨田 このタイミングで宇宙飛行士インストラクターになるんですね。やっぱりキャリアって色んな原点があるんだなと、改めて思います。

田口 はい、When there’s a will, there’s a way(意思あるところに道あり)の通りで、他人を動かせるほど僕の想いが強く、8年経って期が熟したのだと思います。僕は宗教は全然信じてませんが(密教の思想は大好きですが)、神様に感謝です(笑)あっ、でも宗教を記入する欄があれば「JEDI(*注3)と書きます(笑)

 

冨田 出た!最高です(笑)では、次回からいよいよ宇宙飛行士インストラクターを含めて、宇宙開発のキャリアに関してお話を伺っていきます。

 

 

 

注1: DigitalGlobe

人工衛星を活用したリモートセンシングを行っている米国企業。

https://www.digitalglobe.com/

 

注2: JAMSS(有人宇宙システム株式会社)

国際宇宙ステーション「きぼう」の有償利用・運用・安全開発を支援する唯一の民間企業。

https://www.jamss.co.jp/

 

注3: JEDI=ジェダイ

「スター・ウォーズ」シリーズに登場する、フォースを操るジェダイの騎士たち。

https://ciatr.jp/topics/98577

 

 

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元宇宙飛行士インストラクター、現ロボットベンチャーBD  田口優介①